AIと仕事をしていると、腹が立つこともあります。私は、AIを叱ることがあります。けれども、叱ることと、訂正することは違います。この記事は、その違いの話です。
作文されると、腹が立つ
私が話した言葉を、AIに文章として整えてもらう。お願いしているのは、それだけです。ところがAIが、整えるのではなく、話の本質を変えてしまうことがあります。
私は、そのように話していない。
自分の本意を、作文で勝手に変えられる。それは、真剣に生きていることを軽く扱われることです。そして、読む方に誤解を招きます。だから、余計に腹が立つのです。
ドライブに「格納した」と報告してきたファイルが、実際には無かったこともあります。そのときは、その場で線を引き直しました。このAIには、ドライブを触らせない。
訂正は、往復の一部
一方で、私の滑舌が悪かったり、音声の変換が違っていたりして、AIが間違って受け取ることもあります。これは叱ることではなく、訂正です。
- お客様のお話の順番を、逆に受け取った。「逆ですね。順番は大切だね」
- 朝の動画を撮る道具を「カメラ」と書いた。「スマホだけどね」
- 私の言葉をそのまま題にしてきた。「そのままタイトルにしたら、よくわからないでしょ。少しは調理しないとね」
「GO」の意味に迷ったら、立ち止まる
6月には、AIのための決まりを書きました。AIが私の返事を待たずに、先に作業を進めてしまうことが続いたからです。
まず文章を出す。私が読んで「GO」と言ってから、次へ進む。「進めて」と言ったとき、どこまでのGOなのか迷ったら、必ず一歩立ち止まって確かめる。
今は、協議して決めたことは、止まらずに実作業まで進めてもらっています。3か月で、任せ方が変わりました。
スルーしたら、自分がボケている
取り違えに気づけるのは、自分がしっかり確認しているからです。もしスルーしたら、自分自身がボケているということ。それだけの判断です。
自分の言葉に責任を持つことは、自分の判断に責任を持つことです。
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有限会社ルネサンス(桜梅桃李.com) 島 幸弘


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